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人生に「苦」や「コスト」は必要なのか?
最近ですが、ある本を読んでハッとさせられたので、
それについてお話ししますね。
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私たちの周りには、
「努力をせずに成功する方法や、生活が便利で楽になる商品」の広告があふれていますが、
それらは必ずしもあなたを幸せにしてくれるわけではありません。
むしろ「苦痛を逃れて楽に生きたい」は、
幸福からは遠ざかる選択であることも多いのです。
私たちは、なるべく少ない労力で楽をしたいと考えますが、
実際には、これまで払ってきたコスト(時間・労力・お金)の総量が、
幸福感を高める傾向があります。
これを、心理学では「努力のパラドクス」といいます。
タイパ重視、コスパ重視の選択は、最初は幸福感を高めてくれますが、
それが日常になってしまうと、快楽順応によって幸福を感じにくくなってしまいます。
<中略>
また、近年では「レジリエンス」という言葉が世間でも注目されるようになっています。
困難や脅威に直面しても、しなやかに乗り越える精神的な回復力を表す言葉です。
なんらかの逆境によって生物が強くなる現象は「ホルミシス」と呼ばれます。
人間の例で最も分かりやすいのは、運動です。
運動によって身体に負荷がかかり、
一時的にはストレスホルモンなどの有害な物質が生成されますが、
長い目で見れば、人をより健康にします。
<中略>
「可愛い子には旅をさせよ」という言葉がありますが、
長い目でみれば、ストレスをゼロにして楽しいことだけやっていこう、
という選択では、人間もすぐに枯れて(老けて)しまうかもしれないのです。
佐藤舞(2024)「あっという間に人は死ぬから」KADOKAWA P116~118より
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似たような言葉として
「若いうちの苦労は買ってでもしなさい」がありますが、
あれは「いまの苦労が将来の役に立つよ」という“長期投資”の考え方。
一方、今回紹介した書籍では、もっと「現在の幸福感」に焦点が当てられていて、
そこがとても印象的でした。
「苦労(コスト)=幸福感」
「適度なストレス=健康維持」
…この感覚、思い当たることが多い方もいらっしゃるのではないでしょうか。
たとえばキャンプやDIYのように、手間がかかることほど不思議と満足感が残りますよね。
登山のあとに食べるカップラーメンが格別なのも、
山を登った「コスト」が味を深くしてくれているからかもしれません。
少し視点を変えると、
「楽をすると、逆に何かを失っているのでは?」という、
根拠のない不安を感じることもあります。
たとえばこのブログも、ChatGPTに丸投げすれば簡単に作れてしまいますが、
「書かないと文章力が落ちるかも…」
「表現力が鈍っていくのでは…?」
と、どこかで危機感を抱いてしまいます。
銀行員時代にも、
「毎日同じ業務を繰り返していたら、思考の幅が狭まっていく気がする」
と感じていました。
個人事業の今においても、何もすることがない平日がたまにあると
「今日はこれでいいのだろうか」
「世のサラリーマンは今日も頑張っているのに…」
と不安になることもあります。
そんなときは、
「いや、たまには何もしないことも大事だ」
と本当に何もしないこともあれば
「ブログだけでも書き溜めておこう」
と今日する必要のない仕事を前倒しでやって
「今日一日何かをやった感」を得ようとしたりします。
結局のところ、
「苦労(コスト)=幸福感=恐怖の回避」
という思考が私たちの中にあるのかもしれませんね。
ということで、
皆さんも「楽をしたことで逆に焦る」ような経験ってありませんか?
よかったら、お会いしたときにでもこっそり教えてくださいね(^.^)