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ネトフリ「氷点」を観てあらためて考えた「相手の立場」
最近、ハラスメント予防研修の講師を務める中で、
よく受講者の皆さんにお伝えしている言葉があります。
「全ての社員は、家に帰れば自慢の娘であり、息子であり、尊敬されるべきお父さんやお母さんだ。」
「そんな人たちを職場のハラスメントで苦しめたり、うつに至らしめたりしていいわけがないだろう。」
これは、ある会社の役員の言葉で、
厚生労働省のホームページにも掲載されている有名な言葉です。
私はこの言葉を聞くたびに、
胸がぐっと締めつけられるような思いになります。
なぜこんなにも心に響くのだろう?
そう考えてみたとき、ひとつの答えにたどり着きました。
それは、職場での「社員」という立場の奥にある、
その人の人生そのものを思い出させてくれるからです。
会社の中では、部下、同僚、後輩、あるいは上司という関係で見てしまいがちです。
でも、その人は会社の外では、誰かにとって大切な家族です。
家に帰れば、子どもにとっては尊敬すべきお父さん、お母さんかもしれない。
親にとっては、自慢の息子や娘かもしれない。
そう考えるとハラスメントは単なる職場内のトラブルではありません。
一人の人間の尊厳や人生そのものを傷つける行為なのだと強く感じさせられます。
もし自分の家族が職場でそんな扱いを受けていたらどう思うか?
もし自分の大切な人が理不尽な言葉で追い詰められ、苦しみ、心を病んでいったらどう感じるか?
そう想像すると、
「そんなことがあっていいわけがない」
と思うはずです。
私は、この言葉には
「加害者には被害者の人生や家族にまで思いを巡らせてほしい」
そんな願いが込められているように感じています。
結局のところ、ハラスメントを防ぐうえで大切なのは、
相手の立場に立って考えることなのだと思います。
もちろん、言うほど簡単ではありません。
相手の気持ちを完全に分かることなど、本当はできないでしょう。
それでも想像しようとすることはできる。
相手の背景やその人の大切なものに思いを向けることはできるはずです。
相手の家族の顔をイメージすることはできるはずです。
そんなことを考えていたとき、
最近観たドラマ『氷点』のことを思い出しました。
石原さとみが主人公のドラマで、詳しく書くとネタバレになってしまうので控えますが、
相手の立場になって考えざるを得ない場面に遭遇した人間の複雑な感情が描かれています。
もともとは自分が「許してほしい」と願う立場だったのに、
ある出来事をきっかけに、今度は自分が「相手を許すかどうか」を問われる立場になる。
そのときの揺れ動く心の描写が、とてもリアルでした。
このドラマを観ながら、私は冒頭の役員の言葉を思い出しました。
なぜなら、そこでも問われていたのは、
相手の立場や背景に目を向けられるかどうかだったからです。
人は自分の立場から見れば
どうしても許せないと思うことがあります。
でも、相手の事情や苦しみ、背景を知ることで、
その見え方が変わることもある。
逆に、自分が「分かってほしい」「許してほしい」と願っていたはずなのに、
いざ自分が相手を受け止める側になると、それができなくなることもある。
そうした人間の弱さや複雑さが、『氷点』には丁寧に描かれていました。
小学生の頃、よく
「相手の立場になって考えましょう」
と言われました。
あの頃はどこかきれいごとのようにも聞こえました。
でも大人になった今思うのは、それはとても難しい一方で、
とても大切なことだということです。
相手の立場になることは簡単ではない。
けれど想像力を働かせて、
できる限り相手の背景や気持ちに近づこうとすることはできる。
その積み重ねがハラスメントを防ぎ、
職場の人間関係を少しずつ良くしていくのだと思います。
『氷点』を観ながら、そんなことをあらためて感じました。
相手の立場に立つこと。
相手の背景に目を向けること。
そして自分の言葉や行動が、その人の人生にどう影響するのかを想像すること。
ハラスメント予防において、
やはりその視点は欠かせないのだと思います。
Nottaを使って感じた、AI時代でも人にしかできない仕事
最近、超便利なツールを手に入れました。
それは、
「文字起こしAIボイスレコーダー」
です。
スマホをレコーダー代わりに使うタイプと、
専用のレコーダーで録音するタイプがあるのですが、
私はスマホの電池残量が減るのが嫌なので、レコーダーを購入しました。
ちなみに購入したのは「Notta」です。
これがなかなかすごいんです!
なぜ購入したのかというと、
企業訪問のコンサルティングで、
会話に集中しながら記録もきちんと残したいと思ったからです。
私の仕事は研修講師と企業訪問によるコンサルティングが中心ですが、
特にコンサルティングではどうしてもメモをたくさん取る必要があります。
ただ、メモを取りながら話を聞くと、
会話のスピードについていくことや、質問によって本質を深掘りすること、
課題解決に向けて考えることが、どうしてもやりにくくなります。
しかも1日に2件訪問コンサルティングがあると、
1件目の内容がだんだん薄れてしまうこともあります。
だからこそ忘れないうちに記録として残しておきたい、
そんな気持ちが常にありました。
ところがです。
この文字起こしAIレコーダーを使うと、その心配がかなり減ります。
録音しておけばあとから内容を文字に起こしてくれる。
しかも、要約までしてくれる。
さらに驚いたのは、
要約のパターンをカスタマイズできることです。
つまり、こちらが欲しい形に近い形でまとめてくれるわけです。
これによって、訪問後に
「何を話したっけ…」
と記憶をたどりながら整理する作業が、かなり楽になりました。
しかも、話はこれだけでは終わりません。
私はChatGPTの有料版も使っているのですが、
AIレコーダーで要約された文章をChatGPTに貼り付けて、
「整理してパワーポイントにして」
と頼むだけで、かなりしっかりした資料のたたき台を作ってくれます。
これが本当に便利なんです!
もちろん、そこでできあがるものは100点満点ではなく、
感覚としては80点くらいです。
ですので、そこから少し手直しは必要です。
ただ、その“少しの手直し”で済むというのがめちゃくちゃ大きい。
そしてその日のうちにお客様へお渡しすることもできます。
そうするとお客様にとっても、
その日にどんな話をしたのか、
どんな課題が見えていたのか、
そして今後どんな方向性で進めていくのだったかが、
パワーポイントを見ることで一目で分かるようになります。
これはやはり喜ばれます。
自分だけが楽になるのではなく、お客様にも価値がある。
なんとも素敵なツールです。
そんなわけで最近は、
会う人会う人にこの感動を伝えまくって、
すっかりNottaの宣伝マンのようになっています(笑)
少し前までならパワーポイント作成の代行や、
録音を聞き返しながら議事録を作る仕事などがありました。
でも今はその手間のかなりの部分をAIが肩代わりしてくれる時代です。
いやあ、本当に恐ろしい時代になりました(笑)
そのうち、
メルマガも思いついたことをAIレコーダーに向かって話し、
それを要約して、さらにChatGPTに「メルマガ風にして」
と頼めば、あっという間にできてしまうかもしれません。
本当に便利になったものです。
ただ私はそれでも研修やコンサルティングそのものが
AIに簡単に置き換わるとは思っていません。
相手の表情を見ながら、
理解度を確かめながら、
空気を読みながら、
問いかけを変え、
その場の流れをつくっていく。
そういうことはまだ生身の人間にしかできない部分が大きいと感じています。
人は、人と話すことによって感情や思考が整理されます。
そして、いろいろな経験を積み重ねてきた人間が、
思いや熱量を持って語るからこそ相手の心が動くこともあります。
もちろん、
「いやいや、世の中はもっと進歩するよ」
という声もあるでしょう。
たしかにその可能性はあります。
でもだからといって
すべてをAIに任せればいいという話でもないと思うのです。
便利さだけでは割り切れない領域がやはり世の中にはあります。
だからこそ私は、一般的な社労士業務としてよく挙げられる
給与計算代行や手続き代行をほとんどやっていません。
もちろんそれらの仕事がすぐになくなることはないでしょう。
制度は複雑ですし、
実務にはまだまだ専門家の判断が必要です。
ただAIやシステムの進化によって、
そうした業務の価値が相対的に下がり、
価格競争に巻き込まれていく可能性は高いと感じています。
そう考えると、これからますます大事になるのは、
「人にしかできない価値をどこで出していくか?」
ということなのかもしれません。
便利なツールはどんどん使う。
でも、最後の価値は「人」が出す。
私はそんなスタンスでこれからも仕事をしていきたいと思っています。
……とはいえ、Nottaの営業をAIと私がしたら、
私はAIに絶対に勝てる自信があります(笑)
やはり最後は、
熱量としつこさではまだ人間のほうが強いのかもしれません(^.^)
想定外の研修オーダーが広げてくれた自分の幅
先日、顧問先の病院から3時間の研修のオーダーをいただき実施してきました。
もともとのご依頼内容は、私がこれまで研修で扱ってきたテーマの延長線上にあり、
いくつかの組み立てパターンで対応できそうなものでした。
ところがです。
研修日の2週間前になって、かなり大幅な内容変更のオーダーが入ったのです。
正直、
「おいおい、今から変更ですか…」
と、かなり焦りました(笑)
とはいえ、そこはやはりせっかくご依頼いただいた以上はクライアントの期待に応えたい。
そう思い、すぐに内容の再構築に取りかかりました。
ただ、今回のオーダーはすべてが既存の内容で対応できるものではありませんでした。
感覚的には3割くらいは過去にやったことのある内容で対応可能。
しかし、残り7割はこれまでほとんど扱ったことのないテーマで、
かなり一から組み立てる必要がありました。
これがなかなか大変でした。
病院が今回の研修で本当に求めている成果は何か?
その成果を得るためには、どんな内容を、どんな順番で、どんな言葉で伝えるべきか?
さらに、ただ話すだけではなく、どんなワークを入れれば参加者に腹落ちするのか?
しかも、それを限られた3時間の中で成立させなければいけない。
なかなかの苦行です。
ただ、結論から言うと、かなり時間をかけて準備したこともあり、
結果としては非常に高い評価をいただくことができました。
今回、私が特に苦戦したのが、
「ものの伝え方」
というテーマです。
実はこの分野、誰かに徹底的に師事したとか、体系的に学んだというわけではありません。
そのため、これまではいわゆる
「初歩的なコミュニケーションスキル」
を教える研修については、どちらかというと少し距離を置いてきました。
私がこれまで積極的に行ってきたのは、
管理職やリーダーが部下の目標達成を支援するための関わり方や、
職場を前に進めるための会議・対話・マネジメントの研修です。
ですので、今回のように「伝え方」そのものを扱うとなると、最初は少し迷いもありました。
一瞬、関連書籍から内容を引っ張ってきて、それらしく組み立てることも頭をよぎりました。
でも、すぐにそれは違うなと思いました。
本に書いてあることをきれいに並べるだけでは、たしかに研修の体裁は整うかもしれません。
けれど、それは自分の言葉ではありません。
自分が本当に腹落ちしていないものを、もっともらしく語るのはどうにも性に合わない。
それでは自分がその場で語る正当性も弱いですし、何より熱量がこもりません。
それは、私にとっては“借りものの研修”です。
さすがにそれは研修講師としてのプライドが許しませんでした。
そこで今回は過去の自分自身の経験を丁寧に振り返ることにしました。
これまで自分が、
どうすれば相手に分かりやすく伝わるのか?
どうすれば相手が受け取りやすくなるのか?
どういう順番で話せば理解しやすいのか?
どんな前置きがあると相手が聞く姿勢になりやすいのか?
そうしたことを仕事の中でどんなふうに意識し、工夫してきたのか?
その積み重ねを一つひとつ言語化して、研修に落とし込んでいきました。
これが思いのほか大変でしたが、その分、自分の中でもかなり整理が進みました。
そしてこの研修をやり切ったことで、意外な副産物もありました。
それは、「ものの伝え方」に悩んでいる人が、
世の中にはかなり多いということにあらためて気づいたことです。
おそらくこの研修をきっかけに自分の中で、そのテーマへのアンテナが立ったのでしょう。
その後、いろいろな場面で
「どう伝えたらいいか分からない」
「言いたいことはあるのに、うまく伝わらない」
「話が長くなる」
「結論から言えない」
といった悩みに触れる機会が明らかに増えました。
今回の研修準備で自分の中で整理できたことを、別の場面でもお伝えする機会が増えてきたのです。
最初は病院からの大幅変更のオーダーに対して、
正直「マジかよ…」
という気持ちもありました。
でも、結果的にはそのオーダーに応えたことで、自分の幅がぐっと広がったように感じています。
研修というのは受講者の方に価値を届ける場であると同時に、
講師自身も鍛えられる場なのだとあらためて感じました。
……とはいえ、次に同じようなことがある時は、心の準備というものもありますので
できれば2週間前ではなく、もう少し早めに言っていただけると大変助かります(笑)
バレー観戦で感じた「訂正可能性」の大切さ
以前のブログで、小学校・中学校・高校と一緒だった幼なじみの友人A君のお話をしたことがあります。
A君はとにかく自分の趣味に人を巻き込むのが大好きです。
その一方で、人から巻き込まれるのを極端に嫌います(笑)
そんなA君に以前、女子バレー・久光スプリングスの試合観戦に半ば強引に連れて行かれた話を書きましたが、
ついに第2回目の巻き込まれがやってきました!
今回はA君に加えて、久光スプリングスの社長と
大学時代からの知り合いだという長崎在住のB君も一緒です。
しかも試合会場では、B君と社長が偶然ばったり再会するという嬉しいハプニングまであり、
試合開始前からなかなか良い雰囲気でした。
そして肝心の試合ですが、今回あらためて大きな気づきがありました。
それは、インかアウトかの判定が、
動画判定によって頻繁に簡単にひっくり返るということです。
審判もラインズマンも「イン」と判定したのに、動画では「アウト」
逆に「アウト」と思われたものが「イン」に変わる場面もあります。
それを見ながら、ふとこんなことを思いました。
「これ、AIが審判したほうがいいんじゃないか?」
もちろん、審判やラインズマンは真剣に判定しているわけですが、
プロの試合ですらこれだけ判定が覆るのです。
となると、動画判定のないアマチュアの試合など、
実際にはかなり多くの微妙な判定があるのだろうと思います。
特に男子の試合のようにボールスピードが速くなると、
もはや人の目だけで正確に判定するのは相当難しいのではないでしょうか。
実は私自身、バレーボールの判定に関して、少し苦い思い出があります。
中学1年生のとき、私はバレーボール部に所属していたのですが、
ある試合で女子の公式戦のラインズマンを担当したことがあります。
そのとき、私の中学の隣の中学が、どこか別の学校と試合をしていました。
その隣の中学には、のちに全日本入りする満永ひとみ選手がいたんです。
かなりの強豪校でした。
その試合中、私がラインズマンとして「イン」を示した場面がありました。
すると、満永選手も含めたコート上の選手たちから
「アウトやろ!」
と詰められたことがあります。
あれは焦りました(笑)
とはいえ今さら判定をひっくり返すわけにもいかず、そのまま「イン」で押し通しました。
正直、少し怖かったのを覚えています。
ただ今になって思うのは、人間は誰でも間違えるということです。
いや、そもそもあの時本当に私が間違っていたのかどうかすら、今となっては分かりません。
そんな昔のことを思い出しながら、今回の試合を見ていて感じたことがあります。
それは、動画判定で結果が覆っても、会場全体がそれを自然に受け入れているということです。
ひと昔前なら、
「なんだあの審判は!」
「審判を代えろ!」
という空気になってもおかしくなかったかもしれません。
でも、実際にはそういう雰囲気はほとんどありません。
そこにあるのは、
「人は間違うことがあるよね」
という前提です。
そして私はこの感覚がとても大事だと思っています。
私はこれを「訂正可能性」という言葉で、
パワハラ予防研修の中でもお伝えしています。
「訂正可能性」とは、
正しいことしか許されない組織風土において、
間違いが起きることを前提に、訂正すること、中止すること、方向転換することを受け入れる考え方です。
誰にでも間違いはあります。
だからこそ最初から、
「間違ったら直せばいい」
「やってみて違ったら変えればいい」
という認識を組織の中で共有しておくことが大切です。
逆にこの「訂正可能性」がない会社はどうなるでしょうか?
昔ながらの大企業や、縦社会の色が強い会社などでは今でも
「間違ってはいけない」
「失敗したら厳しく責められる」
という空気が残っています。
たとえばドラマ『半沢直樹』に出てくる銀行のように、
結果が出なかったり判断を誤ったりすると、
激しい非難を受ける、罵声を浴びる、人格を否定される、場合によっては左遷まであります。
もちろんドラマなので誇張はありますが、
あの世界観は「訂正可能性」のない組織を非常に分かりやすく表していると思います。
そうなると、
人は強いプレッシャーの中で働くことになります。
するとどうなるか?
本当のことを報告しなくなる、
ミスを隠す、上の立場の人に迎合する、
違うと思っても反対意見を言わなくなる。
つまり、組織として必要な情報や率直な意見が上がってこなくなるのです。
これは一見すると組織が保たれているように見えても、実際にはかなり危険な状態です。
表面上は回っていても、
生産性が落ちる、メンタル不調が増える、人が辞めていく、チャレンジしなくなる、
結果として組織全体が少しずつ後退していきます。
だから私はハラスメント予防を考えるとき、単に
「怒鳴らないようにしましょう」
「厳しく言いすぎないようにしましょう」
という話だけでは足りないと思っています。
本当に大切なのは、
間違いを責め立てる文化ではなく、修正して前に進める文化をつくることです。
動画判定によって判定がひっくり返っても誰も必要以上に責めない。
むしろ、「訂正できてよかった」と受け止める。
バレーボールの試合を観ながら、そんな空気に職場づくりのヒントを感じました。
人は間違えます。
だからこそ、間違えた後にどう修正できるか?
その余地を組織の中に持てるかどうか?
そこに安心して働ける職場と、パワハラが起こりやすい職場の分かれ目があるのかもしれませんね。
そして試合後は、反省会という名の同窓会へ♪
そこから参加した高校の同級生の女性に対して、
A君は早速、久光スプリングスの試合観戦の応援の仕方を教えながら、巻き込もうとしていました(笑)
自分が巻き込まれるのは大嫌いだけど、人を巻き込むのは大好き。
そんなA君らしさが最後まで全開の、なかなか面白い一日でした(^.^)
ここまでくると
「A君に巻き込まれるのも案外悪くないな」
と感じている自分がいることに気付きました(笑)
「不毛地帯」を観て思った「これからは組織だ」の重み
またまたネットフリックスの話題で恐縮です(笑)
最近、山崎豊子原作のドラマ『不毛地帯』を観終わりました。
この作品は、シベリア抑留から帰還した主人公・壹岐正(唐沢寿明)が、
戦後の日本で総合商社マンとして巨大プロジェクトに挑んでいく非常にスケールの大きな物語です。
戦争の傷跡、人間同士の駆け引き、企業同士の争い、
家族の問題、そして人生そのものの悲哀までが重なり合っていて、まさに重厚感あふれる作品でした。
シベリアで共に過ごし、命を落としていった仲間たちへの思い。
妻を不慮の事故で失うという深い悲しみ。
その後に生まれる新たな心のつながり。
さらに、自分の娘がライバル商社マンの息子と結ばれるという、なんとも複雑な人間模様。
観ていて本当に引き込まれました。
その中でも特に印象に残ったのは、終盤、壹岐が役員を退くときの言葉です。
「これからは組織だ!」
若い頃の壹岐は圧倒的な戦略性と情報力、そして突破力で難局を切り開いていきます。
まさに強いリーダーシップで小さかった商社を大きくしていく存在です。
もちろんそういうリーダーの存在は大きいと思います。
創業期や変革期には、
誰かの強い意思や決断がなければ前に進まないことも多いでしょう。
ただ一方で、どれだけ優れた人がいても、
その人ひとりの力に依存し続ける組織には限界があります。
その人がいなくなった途端に止まってしまうからです。
壹岐の最後の言葉には、
まさにその限界を見抜いた重みがあったように感じました。
ここで重なるのが、
チェスター・バーナードのいう「組織成立の3要素」です。
組織が成り立つには、
・共通目的(同じ方向を向くこと)
・協働意思(協力しようとすること)
・コミュニケーション(きちんと伝わり合うこと)
の3つが必要だとされています。
この視点で『不毛地帯』を見ると、
壹岐の最後の言葉の重みがよく分かります。
突出した個人がいる間は会社は前に進む。
しかし、それだけでは「壹岐が動かしている会社」で終わってしまう。
本当に強い会社に必要なのは誰か一人の力ではなく、
方向性の共有、協力し合う意思、そして伝わり合う仕組みです。
これは現代の中小企業にもそのまま当てはまる話だと思います。
社長が優秀で、管理職も頑張っている。
ベテラン社員も支えてくれている。
それでも、
「会社としてどこを目指しているのかが、社員に十分伝わっていない」
「助け合いよりも、遠慮や縄張り意識のほうが強い」
「会議をしても本音が出ず、形だけで終わる」
「情報共有が不十分で、一部の人しか動いていない」
こうした状態であれば、
まだ“組織”になりきれていないのかもしれません。
だからこそ私はリーダー育成も会議支援も、理念浸透も大事だと考えています。
すごい人を一人つくるためではなく、組織として前に進める状態をつくるためです。
『不毛地帯』は単なる名作ドラマというだけでなく、
「強い個人」から「強い組織」へと視点を移す大切さを教えてくれる作品でした。
そんなことを考えながら『不毛地帯』を観終えました。
仕事にも通じる学びの多い作品でしたが、純粋にドラマとしても非常に面白かったです。
さて、次は何を観ようかな(笑)











