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同じ研修を2回やって気づいた「研修はライブだ」ということ
先日、有田の窯業関係のお客様で、
ハラスメント予防研修を実施してきました。
全員が一度に受講することは難しいため、
午前と午後に分けて、同じ内容の研修を2回実施しました。
時間はそれぞれ約1時間半です。
そこであらためて感じたことがあります。
それは、同じ研修でも、
1回目と2回目では自分の感覚がかなり違うということです。
もちろん、事前にしっかり準備もします。
練習もします。
タイムスケジュール表も作って、時間のマネジメントもしています。
研修講師としての経験も、それなりに積んできました。
それでも1回目というのは、やはり少しドキドキするものです。
「時間どおりに終われるだろうか」
「受講者の皆さんの反応はどうだろうか」
「きちんと理解してもらえているだろうか」
そんなことを考えながら進めるので、やはり緊張感があります。
そして午前の研修が無事に終わり、
午後から同じ内容で2回目の研修を行いました。
すると、途中でふと気づいたのです。
「あれ、午前中ほどドキドキしていないな」
午前中に一度通しているので、全体の流れが見えています。
どのあたりで時間がかかるのか。
どの話に反応があるのか。
どの部分で少し説明を補ったほうがよいのか。
そうしたことが、ある程度見えているわけです。
もちろん、手を抜いているわけではありません。
ただ、1回目のような緊張感とは少し違って、
2回目には心の余裕が生まれていました。
そしてその余裕があるからこそ、できることもあります。
午前中には話さなかった事例を加えてみる。
レジュメには載せていない補足説明を入れてみる。
受講者の反応を見ながら、少し違う角度から解説してみる。
そうすることで、より伝わりやすくなったり、
理解が深まったりすることがあります。
つまり、同じ内容の研修をしていても、
1回目は「予定どおりに届けること」に意識が向きやすく、
2回目は「より伝わるように届けること」に意識を向けやすくなる。
そんな違いがあるのだと思います。
ここで思い出したのが、
ライブやコンサートを何度も観に行く人がよく言う話です。
「同じ曲をやっているのに、前回と全然違った」
曲順は同じでも、
アーティストの表情や声の調子、曲の合間に話す内容、
その日の会場の空気で、受け取る印象が変わるのだと思います。
最初は、
「同じ曲なら同じじゃないの?」
と思っていましたが、
今回の研修を通じて、その感覚が少し分かった気がしました。
研修も、同じレジュメで、同じ流れで話していても、
受講者の反応や自分の心の余裕によって、
出てくる言葉や伝わり方が少しずつ変わります。
そう考えると、
研修もある意味ではライブなのだと思います。
慣れというのは、油断につながることもあります。
しかし良い意味での慣れは、
仕事の質を高める余裕にもつながるのだと思います。
ちなみに、ハラスメント予防研修の中で、
毎回かなり反応がある話があります。
それは、セクハラの判断に関する話です。
よく、
「相手がセクハラだと感じたらセクハラになる」
と言われることがあります。
たしかに、被害者側がどう受け止めたかは非常に重要です。
ただし、相手が不快に感じたら、どんな場合でも必ずセクハラになる、
というわけではありません。
その言動の内容。
その場の状況。
合理性や妥当性はあるか。
そうした事情も含めて、総合的に判断する必要があります。
この説明をするときに、私はよくこんな例を出します。
「部長って、生きているだけでセクハラよね」
ここでだいたい笑いが起こります(笑)
もちろん、これはあまりにも理不尽な話です。
部長が何か具体的な言動をしたわけでもないのに、
存在そのものをセクハラ扱いするのは、さすがに無理があります。
むしろ、そのような発言のほうが、
相手を傷つける問題発言になりかねません。
この例を通じてお伝えしたいのは、
「不快に感じたかどうか」だけでなく、具体的な言動や状況を丁寧に見て
判断する必要があるということです。
ハラスメントの判断はとても繊細です。
被害者の受け止め方を軽視してはいけない。
一方で、何でもかんでもハラスメントと
決めつけることも避けなければならない。
だからこそ会社の人事担当者や管理職は、
感情だけで判断するのではなく、事実関係を確認し、
合理性や妥当性を踏まえて考える必要があります。
こうした少し難しい話も、
具体例を交えると伝わりやすくなります。
少し笑いが起こることで、場の空気もやわらぎます。
そして、そのあとに大切なポイントを
しっかり伝えることができます。
ハラスメント研修は、
どうしても重たいテーマになりがちです。
もちろん、軽く扱ってよいテーマではありません。
ただ、重たいテーマだからこそ、
受講者が構えすぎずに考えられるよう、
事例やたとえ話を使いながら伝えることも大切だと思っています。
今回、午前と午後で同じ研修を2回実施してみて、
あらためて感じました。
同じ内容でも、まったく同じ研修にはならない。
受講者の反応も違う。
自分の心の余裕も違う。
その場で出てくる言葉も違う。
だからこそ、研修は面白いのだと思います。
……とはいえ、ハラスメント予防研修で
「部長って、生きているだけでセクハラよね」
のくだりだけが一番記憶に残っていたとしたら、それはそれで少し複雑です(笑)
できれば笑ったあとに、
その奥にある大事な考え方まで持ち帰っていただけると嬉しいですね(^^)
高校の三者面談でAIボイスレコーダーを使ってみた話
先日、次女の三者面談がありました。
次女は現在高校3年生。
この時期の三者面談となると、
進路に関わるかなり大事な話になります。
そこで今回、ふと思いついて活用したのが、
AIボイスレコーダー「Notta」です。
このAIボイスレコーダーは、もともと仕事で活用していました。
私は企業訪問によるコンサルティングの際に、
お客様と話した内容を録音し、
あとで議事録として整理してお渡しすることがあります。
そうすると、お客様にとっても、
「その日にどんな話をしたのか」
「どんな課題が見えてきたのか」
「今後どんな方向性で進めていくのか」
「何が決まったのか」
が見える形で残ります。
また、次回お会いしたときにも、
こちらから
「前回こういう話をしましたが、その後どうでしたか?」
と確認しやすくなります。
つまり、単なる記録ではなく、
次の行動や進捗確認につながる資料になるわけです。
今回、娘の三者面談を前にして、ふと思いました。
「あれ、これって三者面談でも使えるのでは?」
進路の話はその場では分かったつもりでも、あとから振り返ると、
「あれ、先生は何と言っていたっけ?」
「この大学を受けるには、何を優先すべきだったっけ?」
「今後の模試や勉強方針はどう整理したんだっけ?」
となることがあります。
しかも、親も子どもも、
その場では先生の話を聞くことで精一杯です。
そこで面談の冒頭で先生にお願いしました。
「大事な話になると思うので、今後の方向性をきちんと確認できるように、AIボイスレコーダーで録音してもよろしいでしょうか?」
正直、少し断られるかなとも思っていました。
先生にとっても、
三者面談でAIボイスレコーダーを使いたいと言われることは、あまりないと思います。
また、録音となると、
「言った」「言わない」の問題を気にされる可能性もあるかなと思いました。
ところが、意外にもすんなりOKをいただきました。
ありがたいことです。
そして実際に録音してみたところ、これがかなり良かったのです。
面談後、録音内容をもとにAIが議事録を作ってくれました。
さらにそれをパワーポイント形式に整理すると、
非常に見やすい資料になりました。
もちろん、完璧ではありません。
実際ある大学の入試情報について、AIがうまく整理できておらず、
誤った内容になっていた部分がありました。
そこは人間の目で確認して修正しました。
やはりAIが作ったものをそのまま信じ切るのではなく、
最後は確認が必要です。
ただそれを差し引いても、とても便利でした。
特に良かったのは、
面談で話された内容だけでなく、
先生の言葉の温度感や、そこで確認された方向性が、
かなり整理された形で残ったことです。
娘にその資料を渡すと、
「自分が何をしなければならないのか」
がかなり明確になったように感じました。
親である私自身も、
「娘は今後こういうことを意識しないといけないんだな」
「この大学を目指すには、ここを確認しておく必要があるんだな」
と整理することができました。
三者面談というのは、ただ先生の話を聞くだけの場ではありません。
今の状況を確認し、今後の方針を考え、
本人が何をすべきかを明確にする場です。
そう考えると、記録を残す意味はかなり大きいと思います。
そして何より良かったのは、
面談中にメモを取ることに追われず、
先生の話や娘の反応に集中できたことです。
もちろん、大事なポイントをその場で少しメモすることは必要です。
ただ、すべてを必死に書き留めようとすると、どうしても会話への集中力が落ちます。
その点、録音している安心感があると、
「今ここで何を確認すべきか」
「娘はどう受け止めているか」
「先生の話の中で、何が大事なポイントなのか」
に意識を向けることができます。
これは、仕事のコンサルティングでもまったく同じです。
記録に追われるのではなく、対話に集中する。
相手の表情や言葉の奥にあるものを見る。
そのうえで、あとから内容を整理し、次の行動につなげる。
AIボイスレコーダーは、そのためのかなり心強い道具だと感じました。
本当に便利な世の中になったものです。
もし、こういうものが私の高校時代にあったらどうだったでしょうか。
三者面談の内容をあとから見返し、
自分が何をすべきかをきちんと整理できていたら、
もしかすると、もう少し違う大学に行っていたかもしれません(笑)
……いや、さすがにそれはAIボイスレコーダーのせいではなく、
当時の私の勉強量の問題ですね(笑)
ただ少なくとも、今の高校生には便利な道具があります。
あとは、それをどう活かすか。
娘には、AIがまとめてくれた資料を眺めるだけで終わらず、
ぜひ行動につなげてもらいたいと思います。
そして私も、父親として
「Nottaで議事録を作ったから、あとは頑張ってね」
で終わらせず、
そっと見守りながら応援していきたいと思います。
……とはいえ、
もし次女が迷走しだしたら
「この前の議事録の内容覚えてんの!?」
と言ってしまいそうで、そこだけは気をつけたいところです(笑)
ジャズライブを聴いて思った、初めてのこととの向き合い方
先日、長崎の高校時代の同級生が佐賀にジャズライブを聴きに来るということで、
私と佐賀の友人を含めた3人で一緒に行ってきました。
きっかけは、その長崎の友人の音楽の師匠が、
今回のジャズメンバーの中にいるということでした。
おそらく私にとってジャズの生演奏を
ちゃんと聴くのは初めてです。
今回のライブは、サックスがいわば歌謡曲でいう
ボーカルのような立ち位置。
それを支えるように、ピアノ、エレキギター、
ドラム、コントラバスが加わる編成でした。
いやあ、素敵でしたね♪
私は最近アコースティックギターの練習をしていることもあって、
楽器を奏でる難しさを少しだけ知るようになりました。
だからこそ一見すると自然に聴こえる演奏の奥に、
どれだけの努力や経験が積み重なっているのかをずっしりと感じました。
ただ、最初はかなり戸惑いもありました。
今回はサックスが、いわば“歌う役”を担っているわけです。
でも当然ながらサックスは言葉を発しません。
言語も単語もない。
オーケストラならそれぞれの楽器が細かな役割を担い、
全体として受け止めることができます。
でも今回は明らかに歌手的な役割を担っている存在がいるのに、
ずっと“ハミングだけで表現している”ような感覚だったんです。
「うーん、これはどう受け止めればいいんだろう…」
そんなふうに心がざわめいて戸惑っていました。
けれど、聴いているうちに少しずつ、
「サックスはムードや情景を演出しているんだな」
「風とか光とか、においとかざわめきとか、気持ちの浮き沈みみたいなものを表現しているんだな」
と受け止められるようになってきて、
ようやく落ち着いて聴けるようになりました♪
ライブ後は、友人だけでなく、
サックス奏者と友人の師匠であるエレキギター奏者の方とも一緒に飲みに行くことができ、
いろいろ教えてもらったり意見交換をしたりと、とても楽しい時間を過ごしました。
…そこであらためて思ったのです。
【人は、初めてのことに出会うと面食らう】
でも、だからこそそのあとどう向き合うかで見える世界が変わってくるのだな、と。
今の世の中は変化のスピードが本当に速いです。
新しいことに戸惑うのは自然なことですが、
それでも少しずつ受け入れていかないと、置いていかれてしまうのかもしれません。
そこで今回は私自身の社会人経験の中で、
最初は戸惑いながらも取り入れたり、チャレンジしたりしてきたことを整理してみたいと思います。
①ブラインドタッチ
いわゆる、パソコンのキーボードを見ずにローマ字入力する技です。
銀行員時代は、私を含めて男性の多くが両手の人差し指でローマ字打ちするという、
ある意味器用で野蛮な入力スタイルでした(笑)
しかも当時はブラインドタッチができる男性に対して、
「ちょっとカッコつけている」
「男は黙って人差し指」
みたいな、よく分からない価値観すらあったような気がします。
これは銀行を辞めたあとに身につけたのですが、最初は
「こんなことできるわけがない!」
と、かなり諦めモードでした。
それでもコツコツ練習を重ねた結果、スピードはそこまで速くないものの、
今ではブラインドタッチができるようになりました。
②社労士試験
私は元銀行員ですので、社労士とはまったく関係のない仕事をしていました。
ですので、なぜチャレンジしたのかという経緯は今回は割愛しますが、
とにかく最初は分からないことだらけでした。
今では比較的簡単に説明できる「労働保険料」という概念も、
当時は本当に意味が分からず、理解するのにかなり苦労しました。
労務に関わったことがなかったため、そもそも感覚がない。
だから、ある部分は気合で暗記したりもしました。
けれど、人生で初めて本気で勉強した経験だったのは間違いありません。
ちなみに、年金については今でも
「うーん、ややこしいなあ」
と思うことが結構あります(笑)
③事業用の借金
銀行員時代は、事業資金を貸す側でした。
ところが、社労士として開業し、いざ自分が借りる側に回ると、
「借りたら返さないといけないけど、本当に返していけるんやろか……」
と、急に不安になるわけです。
そのとき初めて、銀行員時代に
「事業計画をしっかり立ててください」
などと経営者に言っていた自分が、ちょっと恥ずかしくなりました。
経営者がリスクを背負って借金をしていたことの重みを、
銀行を辞めたあとになって理解できるようになるという…
ただ一つ、借りる立場になってよく分かったことがあります。
それは、
「手元資金に余裕があると、事業のスピードが上がる」
ということです。
思い切った決断もしやすくなるし、
「お金が貯まってから始めよう」
と思っていると、何年もスタートできないことがあります。
そう考えると、借金はある意味、
「時間を買うこと」
なのだと改めて感じました。
④研修講師
実は、人前で話すのはもともと苦手でした。
大学時代は合唱団に所属し、指揮者も経験していたので
60人くらいを相手に2時間の練習を取り仕切るようなことはしていました。
ただ、社会人になってからビジネスとして研修講師をするのは全く別物です。
最初に研修講師の依頼を受けたときは、
「緊張せずにちゃんと話せるかな」
「頭が真っ白になったらどうしよう」
「相手にちゃんと伝わるかな」
「その場に自分より詳しい人がいたら嫌だな」
そんな不安だらけでした。
だからこそ練習を重ね、
実際の自分がした研修をビデオ撮影して見返し、何度も振り返りました。
「やれるだけのことはやった」
「あとはどうにでもなれ」
そこまで自分を追い込んで、本番に臨んでいた時期もありました。
ただ、今は少しスタンスが変わってきています。
今は、
「自分の社労士としてのミッションを実現に近づける最短ルートは研修講師だ」
「自分の伝えたいことを、どうやって伝えようか」
という、どちらかというと攻めの姿勢に変わってきました。
その結果、緊張することはほとんどなくなりました。
そして、このスタンスに変わったことで、
以前はどこか“借り物の言葉”だったものが、
今は自分が本当に大事だと思えること、心から良いと信じていることを
伝える形に変わってきたように思います。
だからこそ、言葉に熱量や気持ちを込められるようになってきたのかもしれません。
ということで、人は初めてのことに出会うと、どうしても戸惑うものです。
けれど、そのあとどう向き合うかで、少しずつ変わっていけるのだと思います。
最初は違和感があっても、
「これは何だろう」
「どう受け止めればいいんだろう」
と考え続けることで、自分の中に新しい世界が開けてくることもある。
今回のジャズライブを通して、そんなことをあらためて感じました。
……とはいえ、もし今
「次はプログラミングに挑戦してみましょう!」
と言われたら、これは絶対に無理だという自信があります(笑)
「3年A組」と「最高の教師」に見る「事例ストーリー」の力
またまたNetflixの話で恐縮ですが、最近、『3年A組』と『最高の教師』を観ました。
『3年A組』は以前テレビで観ていたのですが、当時は
「先生がそんなことする?」
「そんなことをしたって、ドラマを観ている人が変わるわけないだろ」
と、少し斜に構えて見ていました。
一方、『最高の教師』は今回初めて観ました。
タイトルの印象とはかなり違って、なかなか重たく暗い展開です。
ただ、この2作品には共通点があるなあと感じました。
どちらも、1人の生徒の死が大きな軸になっている作品です。
そして主人公である先生自身もまた、
自分の生き死にに関わる重たい状況の中に置かれています。
さらに印象的なのは、先生が生徒に投げかける言葉です。
本質をズバズバと突いてきて、生徒が言葉に詰まったり、逆ギレしたりする。
そんな先生と生徒のやり取りが、この2作品の大きな見どころだと思います。
ただ、私が特に面白いと思ったのは、
あの作品そのものが大きな「事例ストーリー」になっていることです。
実際にあったエピソードや、誰かの体験に基づくストーリーには、
人の感情を動かす力があります。
なぜなら、聞き手がそのストーリーに自分を投影し、
共感しながら受け取ることができるからです。
私が師事している和仁達也先生は、こうした人の心を動かす具体的な話を
「事例ストーリー」と呼んでいます。
たとえば、中学生の娘が最近反抗的で、話しかけてもそっけない返事しか返ってこない。
そんなときに、
「そんな態度はやめなさい」
「ちゃんと話を聞きなさい」
と正面から叱ると、余計にこじれてしまうことがあります。
そういうときに、
こんな事例ストーリーが効果的だと和仁先生は言います。
「ママも中学生の頃、どうしても親と話したくない時期があってね。
話しかけられても無視したことがあったんだよ。
でもある日、受験勉強していたら、
お母さんが黙って夜食のおにぎりをドアの外に置いてくれていて、
“ああ、応援してくれているんだな”って分かって、それだけで泣けてきたんだ」
こんなふうに、娘さんを非難するのではなく、
「あなたのことを見ているよ」
「応援しているよ」
というメッセージをにじませるストーリーです。
こういう話は、まっすぐな説教よりも案外心のどこかに残ったりします。
あるいは、
「知り合いの娘さんの話なんだけどね」
と、少し距離のある他人の事例として話すのもひとつです。
近い関係の人の言葉は、どうしても
「結局、私に言ってるんでしょ」
と受け取られてしまいがちです。
でも、他人のストーリーになると、
相手は少し構えを解いて聞くことができます。
直接自分を責められているわけではないので、
余裕を持って受け止めやすいのです。
『3年A組』も『最高の教師』も、まさにこの構造を持っているように思います。
ドラマの中では、先生が生徒に対して本質を突く言葉を投げかけます。
生徒は言葉に詰まったり、答えられずに逆ギレしたり、
感情をむき出しにしたりする。
あのやり取りは、もちろん物語の中の出来事です。
でも、見ている側はそこに自分を重ねてしまう。
「これは自分にもあるかもしれない」
「逆ギレせずに冷静になれよ」
「なんで先生の言葉を素直に受け止めないのだろう」
「自分も同じようなことをしているかもしれない」
「昔、こういうことを言われたかったのかもしれない」
そんなふうにテレビの向こう側で起きているやり取りを、
自分のストーリーとして受け取り始めるのです。
けれど、自分が直接言われているわけではない。
言われているのは、テレビの中の生徒です。
だからこそ、こちらは少し距離を保ったまま、
その言葉を聞くことができます。
もしあれを真正面から
「あなたはこうです」
「あなたの問題はここです」
と直接言われたら、人はたぶん防御反応を起こします。
怒るか、拒絶するか、言い訳するか、
素直に受け止めるのはなかなか難しいでしょう。
でも、ドラマという形を通すことで、私たちは“他人の話”として見ながら、
同時に“自分の話”としても受け取ることができます。
これが事例ストーリーの力なのだと思います。
私は普段のコンサルティングの場で、経営者に何かの導入を促すときにも、
この事例ストーリーを大切にしています。
たとえば、
「定年の引上げをしませんか?」
とストレートに言うと、
相手は拒絶反応を示しやすいのです。
「簡単に言うなよ」
「政府が勝手にそっちへ持っていきたいだけだろ」
そんな反応になることもあります。
でも、こういう伝え方ならどうでしょうか。
「ある経営者は、自分の会社で長年貢献してくれた社員を最後まで面倒みてあげたい、
そんな理念を持っていたそうです。
ただ、定年を引き上げても体力的に今の仕事は続けられない。
そこで社長は定年引上げと同時に高齢者でも働ける受け皿となる部署を新たにつくったんです。
ここまでやるかどうかは、会社の理念や経営者の想い次第なんでしょうけどね」
こう投げかけると、多くの経営者は
「それは素晴らしいな」
「やっぱり高齢の社員も大切にしてあげたいな」
という方向に気持ちが動きやすくなります。
つまり、人の感情を動かし、
「自分ごと」として受け止めてもらうためには、
事例ストーリーの力はやはり大きいということです。
『3年A組』も『最高の教師』も、単なる学園ドラマではなく
見る人が自分を投影し、余裕を持って本質を受け止めることができる
非常に強い事例ストーリーなのだと思います。
だからこそ、多くの人の心に残るのでしょう。
……とはいえ、もし現実にあんな先生が目の前にいて、本質をあそこまで鋭く突きつけてきたら、
私もきっと生徒たちと同じように言葉に詰まるか、逆ギレする側に回るかもしれません(笑)
やはり人は、“ちょっと距離のある物語”だからこそ、
素直に学べるのかもしれませんね。












